M@GICは鳴りやまないっ!! ~デレアニ最終話を見ての感想~



最近煙草を吸い過ぎて喉をやられている僕です。辞めろよ。

さて、本来なら駄弁りの席を設けて、そこで最終話の感想をだらだら喋って思ってたこと全部言って終わり。
となるはずだったのですが、僕のトークスキルはちょっと人語を喋れるインコ以下だということが露呈し、むしろもやもやをため込んでしまったのでまたお空に向かってデータを飛ばします。
最近アイドルはお空に旅立つものだからちょうどいいね。


・フリースタイルポエムバトル最終決戦に込められていたメッセージ

大坪社長、それ公式でいじっちゃダメでしょ。思わず笑ってしまって内容が頭に入ってこーへんわ(難波笑美のツッコミ風に)。
さておき。最終話で一番尺を取ったんじゃないか疑惑のあるポエムバトルですが、僕はここにデレアニで伝えたかったことがあるんじゃないかと思ってたりします。
24話まで、物語としての焦点は武内Pと常務、どちらが勝つかというところにあったと思います。
島村卯月問題もある意味ではその勝負を際立たせるためにあったのかもしれません。
それが25話においてどのような決着がついたかと言うと、「どちらも負けなかった」んですよね。それは別に常務の、武内Pの強がりでもなんでもなく。

武内Pと常務、この二人って実はキャラクターのようで実はキャラクターじゃないところがあると思っていて。
武内Pはこのデレアニにおいて初めて登場した人物であり、数多くの発明をしてきました(ラブライカ、アスタリスク、キャンディーアイランド、凸レーション、らんこうめなどなど)。
その発明はどれも素晴らしいもので、シンデレラにおいてあらゆる横のつながり、可能性を生み出してきました。
しかしその一方で武内Pによって潰されてしまった可能性もまたあります。
それはあんきらであったり、ポジパであったり、TPであったり、だりなつであったり。
その可能性に光を当て、プロジェクトを白紙に戻すことで潰れていた可能性を引っ張り出したのが常務です。
そして、その可能性というのは基本的に「原作にあったユニット」です。可能性というよりも温故知新ですかね。

簡単に言えば武内Pは製作者側のプロデュース、常務は僕ら二次創作側のプロデュースです。
そしてあのポエムバトルにおいて、武内Pは「私とあなたのプロデュースの方法は違う。でもどちらも素晴らしいものだ」と言い切りました。
……社会人としてはビックリするほどのビックマウスです。いわば常務クラスの人間の方針に「俺と違うし」と言い切り、常務と自分を対等の立場に置いたわけですから。
そして常務はあのポエムバトルにおいて「互いは平行線だ」と言い切り、交わらないとまで明言しました。
それは本当にその通りだと思っていて。原作が二次創作に歩み寄ることは基本的にないし、なくていいと僕は思っています。だからこそ僕は常務の考え方に賛同できるわけです(常務の考え方に賛同するところは抽象的なところだけではなく、方針的なところもあるんですが、それはまた後で)

じゃあ原作と二次創作が平行線で交わらず、ただただ対立するのかと言えばそれも全然違うわけで。
常務が「その平行線すら超えていくのか?」と尋ね、武内Pが「はい」と強く断言したのがアイドルだったわけです(平行線を飛び越えるiDOLって聞くとなんかインベルとかヌービアムとかが思い出されますけど今は置いといて)。
原作や二次創作の垣根を越えていくのがアイドルであり、原作も二次創作もやりたいことはアイドルのプロデュース、アイドルを輝かせることその一点において他ならならず、そこに平行線、境界線、垣根は存在しないと公式が行ってくれたと僕は思っています。
僕個人としてはめちゃくちゃ救われたんですよね。このセリフに。
まがいなりにもインターネット妄想文字起こしマンとしては「担当アイドルを知ってくれる人が一人でも増えてほしい」と思いながら何かをやってるわけで、
その方向性や味付けが公式と全然違うことがあったり、見てくれた人から突っ込まれることがあったり。
でも、公式が「それでもいいんですよ」って言ってくれたじゃないですか。
可能性の核爆弾であるアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツをアニメ化する上で最高のエンディングであり解決だと。僕はそう思います。

めちゃくちゃ長かったけどいいこと言ってたんだよあれ。長かったけど(まぁ長い理由とか、ポエムにした理由ってのもわかるんですけど。だって公式で「二次創作も素晴らしいよ!」って明言できないじゃないですか。だからぼかしにぼかしたんだと)。

・アイドルマスターシンデレラガールズの0期と2期

実は最終話を見るまで、なんで卯月と小日向を組ませたんだろうなーと思っていました。
24話を見た段階でも「いいこやわー」と思う程度で組ませる必然性をあまり感じていなかったんですよね。
当て馬かな? と思っていたときもあったくらいでした。
ですが、最終話において武内Pがなぜ卯月と小日向を組ませたのかめちゃくちゃ理解できたんですよ。そしてシンデレラガールズの0期が見えたんですよ。
0期って言葉わかり辛いですね。知ってます言いたかっただけです。ようは過去話ですよ。バックグラウンド。

CPが発足したとき、すでに先輩アイドルとして楓さんや川島さん、茜ちゃんやままゆと一緒に小日向もいたんですよ。
当たり前ですけど、そこに至る過程があって、ドラマがあって、苦悩葛藤が全員にあったはずです。
こっから先はただの妄想でしかないんですけど(というか全部妄想だけどな)、小日向もきっと卯月と同じ道をたどってきた子なんじゃないかと。
だからこその23,4話であり、最終話でのあの涙だったと思うんですよ。
だって先輩アイドルのメンツ見ました? 世紀末歌姫高垣楓に不老不死(アンチエイジング)川島瑞樹に初代シンデレラガール十時愛梨にボンバー日野茜に(自称)かわいい輿水幸子にままゆ佐久間まゆetcetc……ですよ。
CPもビックリなメンツじゃないですか。その中に小日向美穂ですよ。確実に個性って何? ってなりますよ。
そんな葛藤を乗り越えた先に今の小日向がいて、それを知っている武内Pが卯月を小日向と組ませたって考えるともうアニメアイドルマスターシンデレラガールズ零(ゼロ)が手に取るように見えるじゃないですか。円盤はよ。

そしてエンディングエピローグで示されたCP二期制のこと。いやー次のシンデレラは誰だぁ? ってなるじゃないですか。
今まで出てきたアイドルが新たにってことも全然ありえますからね! もちろんまだ出てきていないアイドルの可能背だってありますし、新規だってあるかもしれない!

正直な話をすると、脚本的に見たとき、この物語を締めることなく終わったということを考えるとあまり評価はよろしくないんですよ。最終話に明確なカタルシスがあった訳でもなく、話を締めたわけでもなく。
でもね、アイドルマスターシンデレラガールズのアニメのエンディングとしてはこれ以上ないエンディングなんですよ。なぜならソーシャルゲームに終わりがないから。
実はデレアニ自体が長い長いプロローグなんですよね。ここからゲームにつなげるための。

アニマスにおいてはアイドルたちがプロデューサーのもとに帰ってきて、物語としてのエンディングを見せて終わりました。なぜならアケマスから2までのゲームにはエンディングがあるから。
それがデレマスにおいてはアイドルたちがアイドルたちのつながりに帰ってきて物語として幕を締めずに終わりました。なぜならデレマスにエンディングはないから。
アイドルがアイドルたちのつながりに帰ってくるっていうエンディングもいいんですよね。本当にデレマスのコンテンツとしての魅力を考えたうえでアニメにしてるなと。
デレマスのコンテンツとしての魅力って、もちろんアイドルがプロデューサーを見てくれていて、そのプロデュースってのもあるんですけど、一番の魅力はアイドル同士の横のつながりだと思うんですよ。
数多くのアイドルがいて、イベントごとにその横のつながりが発掘されて。アイドルが一人増えればそのつながりは指数関数的に増えるわけで。それが200人もいたらもう計算式を書くのがめんどくさいくらいの可能性になるわけで(5C200? 覚えてない)。

物語として締めるってある意味で可能性を閉じることと同義で、だからこそこのアニメは可能性を広げに広げ大風呂敷を閉じずに終わってそれで正解だと僕は思います。

・めちゃくちゃ個人的な話

全部個人的な話だよ!
置いといて。たぶんですけど、僕がSSAに行ってなかったらこのアニメ楽しめなかったと思うんですよね。
なぜならそれまでシンデレラのことをほとんど知らなかったから。
なぜならそれまで行ったことのあるライブは全部パフォーマンスを見るための場所だったから。

完全に常務と同じ考え方で、払った対価分のパフォーマンスを見ることすなわちライブだと思ってたんですよ。
でもね、演者が楽しんでいるさまを見ること、観客側も一体になってステージを作ること。
そして演者たちの笑顔を見て、見ている僕らも笑顔になるということ。
これを教えてくれたのってSSAのライブだったんですよ。
そのどちらが優れているって話じゃないんですよ。両方とも素晴らしいところがあって、互いが互いを刺激し合って。

SSAで新しいライブの楽しみ方を覚えて、デレアニで新しいアニメの楽しみ方を覚えて。
本当にアイドルマスターという作品を知ることができて、僕は幸せ者なんだと思いました。
だからお願いですからシンデレラのチケットください。生でS(mile)ING!聞かせてくださいお願いします。

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