【仮説なのでそっとリリース】

きょうこんなツイートを見たのだが、
https://twitter.com/choir_tempest/status/382720895338299392
[引用ここから] 「まりほり」とか「おとぼく」みたいな女子高潜入ものを拒絶する人(特に男性読者)は物理的にオトコが主人公だから拒絶するわけで、主人公にバリタチ系というか思いっきりマスキュランな生物学上の女の子にするだけで受け入れられかたは大きく変わりそうなものだけれど。 [引用ここまで]
正直なところ、これで喜ぶ人は少ないような気がする。

《「まりほり」とか「おとぼく」みたいな女子高潜入ものを拒絶する男性読者》は、「百合」的な雰囲気の中に「男性」がいるのが気に入らないわけだから、「男性っぽい人」がいるだけでも半分拒絶反応を起こすような気がする。
一方、むしろそれが好物、女子校に「女性にしか見えない男性が潜入するのがいい」と思っている人にとっては、「女性にしか見えない男性」が「男性に見える女性」に置き換わった瞬間に「関係ないね」となるのであって、どちらにとってもおいしくないことになってしまう。
その設定で喜べるのは「これで安心して《関係性》の物語を味わえる」と思える人だけなのではないだろうか。

また、同じ人がこんなツイートもしているのだが、
https://twitter.com/choir_tempest/status/382712580566831105
[引用ここから] 「マリみての世界に闖入したい」という願望から派生した女子高潜入ものが男性向け百合作品の中心として受け入れられているため、女性だけが登場する百合ものはどちらかといえば「日常的なリアリティ」が求められていると思いますね。 [引用ここまで]
少なくとも「女子校潜入モノ」は「男性向け百合作品の中心」でもなんでもなくて、作品が増えたといっても「変わり種」である点についてはいまでも変わらないと思っている。
また、このツイートの後半には「《関係性》の物語」についてはまさにその通りであるため半分同意する。しかしそうではない作品、言い換えれば「男性にとって《こんなことが起こって欲しい》と思ったことが起こる世界」を描いている作品もいっぱいあると思っていて、そんな作品には「日常的なリアリティ」があるかどうかはまったく関係ないと思う。むしろ、「おとボク」の方がよほど日常シーンからリアリティが感じられるわけで。

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