沖縄の40年-表現者たち 「作家はオキナワを離れた」 2012年2月13日:朝日新聞夕刊(東京版)

◆芥川賞作家の東峰夫さんが生活保護を受け、東京都多摩地区にある6畳1間の家賃月額35000円の木造アパートに独居し、100円ショップのパンと缶詰を食べて暮らしていることが報じられたのは今年の2月13日。この記事にはとても衝撃を受けたし、深く感じ入るところがあったので、朝日新聞のデータベースにアクセスして全文をここに保存しておきます。

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沖縄が本土に復帰した1972年、「オキナワの少年」で芥川賞を取ったのは東峰夫さん(73)だった。

40年たった今、東京・ 多摩地区の木造アパートに一人で住む。6畳一間で家賃3万5千円。生活保護を受け、100円ショップのパンと缶詰で空腹を満たす。1年半前に転居してから、交流のあった同級生や同郷の作家とも連絡を取っていない。

フィリピンで生まれ、終戦で日本へ。少年時代をコザ市(現・沖縄市)で過ごし、コザ高校中退後、米軍基地で働き、その後作家を志して上京した。

「オキナワの少年」は米軍統治下、米兵相手の商売で生計を立てる家庭の少年を描いた私小説的な作品だ。芥川賞を受賞し、「これからは書きたいものが書ける。夢の話を書きたい」と思った。聖書やユングの心理学に触発されたからだ。

しかし、編集者らが求めるものは違っていた。 『オキナワの少年』の続編を」「夢の話なんて荒唐無稽だ。沖縄の現実をリアリズムで書いてくれ」。次第に対立するようになり、出版界から遠ざけられた。

40年間で出版した単行本は5冊。書かなかったわけではない。「出版社に原稿を送ったが、どこも受けつけてくれなかった」 一度、沖縄に戻るが、妻子を置いて再度上京。日雇いやガードマンの仕事をしつつ執筆を続けた。

芥川賞正賞の懐中時計はガードマン時代に盗まれたという。部屋の本棚には大学ノートが300冊ほど並ぶ。毎日見る夢の内容をメモし、項目ごとに整理している。ノートをもとにパソコンで書いた連作小説は、単行本8冊分になった。出版のあてはない。

求められた「オキナワ」は拒否した。しかし、夢には沖縄の基地や山原(やんばる)が出てくる。「夢の中の自分は沖縄の人。ふるさとに帰ろうと思う気持ちもないではない。でも、書きためたものを世に出さないうちは帰れない。芥川賞は重かった」

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