中野剛志『国力とは何か 経済ナショナリズムの理論と政策』講談社現代新書2011年 p.39-42

 我が国は橋本内閣による緊縮財政のために、1998年以降、戦後の歴史では他国に類例を見ないデフレに陥った。それにもかかわらず、構造改革はその後、かえって加速したのである。例えば、1999年、労働者派遣事業が製造業などを除いて原則自由化され、2004年には、製造業への労働者派遣も解禁された。これにより企業は、人件費を容易に抑制できるようになった。2001年には、確定拠出型年金制度が導入されて、従業員は自己責任で年金を運用することになり、企業は従業員の年金に関する責任から解放され、リストラによる人件費の削減が容易になったのである。

 2002年、商法が改正され、アメリカ的な社外取締役制度を導入して、外資による日本企業の買収を容易にする制度が成立した。05年には会社法が制定され、株式交換が外資に解禁された。日本企業の外国人持ち株比率は、90年代半ばまでは1割程度であったが、構造改革が進められた90年代後半以降、外国人持ち株比率が上昇し、06年度には全体の約四分の一を占めるに至っている(関岡英之『国家の存亡 「平成の開国」が日本を滅ぼす』PHP新書2011年)。この他にも、電力市場の自由化、金融ビッグバン、行政改革、郵政民営化、その他各種の構造改革が遂行された。いずれも、競争の激化によるデフレ圧力を伴う政策であった。

 こうした一連の構造改革はものの見事に奏功し、2001年から06年までの間、輸出が拡大し、大企業の純利益率も急速に伸びた。大企業の役員報酬と配当も急上昇した。そしてその当然の帰結として、デフレは脱却できず、失業率は高止まりし、一人当たりの給与は下がり続け、労働分配率も低下していった(磯谷明徳「日本型企業システムの変容と雇用・再編」経済学研究 第76巻 第四号、51頁2009年)。株主利益の最大化を求める海外ファンドなどが増加し、株主への配当を優先する経営を求める傾向が強まったため、人件費が抑制されるようになったのである(川本卓司・篠崎公昭「賃金はなぜ上がらなかったのか?―2002~07年の景気拡大期における大企業人件費の抑制要因に関する一考察」日本銀行ワーキングペーパーシリーズ09-J-5 2009年)。

 さらに、格差の拡大、ワーキング・プアや新卒者の就職難といった、かつてはあまりみられなかった社会問題まで顕在化し始めた。年間の自殺者数は13年連続して三万人を超えた。地域共同体は衰退し、家族制度も動揺し、「無縁社会」などということまで言われるようになってしまった。

 株主や企業の利益とが、大きく乖離しているのはもはや明らかであろう。グローバル化した企業は、2000年代に入って激化した国際競争を勝ち残るために、賃金の引き下げやリストラにより人件費を圧縮しようとした。投資家もまた、企業の短期的な利益を増やし、配当を増すため、労働市場の柔軟化による人件費の削減を望んだ。人件費の削減、すなわち賃金の低下と失業の増大とは、まさにデフレ不況にほかならない。グローバル化した企業と投資家は、デフレ不況を好むのである(Chang, Ha-Joon 23 Things They Don't Tell You about Capitalism, New York; Bloomsbury Press 2010年)。それにもかかわらず、我が国は、グローバル化した企業や金融機関、そして彼らの利益を代弁する経済学者やアナリストの求めに応じて、構造改革を進めてきた。その結果、我が国は、見事にグローバル化したのである。そして、その当然の帰結としてデフレは長期化し、国力は衰退した。

 我が国はグローバル化に抵抗しようとはしなかった。それどころか、2008年のリーマン・ショック以降、相変わらず、輸出主導の成長戦略を追求している。グローバル化によるデフレが内需を縮小させ、内需の縮小がさらなる外需の追求を引き起こすという悪循環から抜け出せないのである。そして、ついには「平成の開国」などと称する究極のグローバル化戦略を打ち出した。すなわち、すべての関税の即時撤廃や、投資や人の移動の急進的な自由化を目指す「TPP(環太平洋経済連携協定)」への参加を目論んでいるのである。
 
 こうして、日本政府は、国民の利益のためではなく、企業や投資家の利益のためにグローバル化を推進する装置となり果てたのである。

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