鯨類の事実と誤信
マイケル・T・ウォルシュ
フロリダ・シーワールド社(フロリダ州オーランド)
1991年国際水生動物医学協会会議

鯨類の生育にまつわる過去数年間にわたる論争は、これらの種を展示する動物園や水族館に関する多くの局面に触れて来た。
これらの論争につぎ込まれた大量のエネルギーは、膨大で不正確な情報に起因する物であり、それはミスガイドされた又は破壊を意図した主要メディアや個人によって更に捩じ曲げられて来た。

これらの障害の原因は知らぬ間に発展しており、そこで用いられた情報はしばしば時代遅れであり、誤用で非科学的であるにもかかわらず「科学的事実」として引用されている。
生物学者、獣医師および科学者として私達は、自分達の役割が単に科学的情報を集める以上の物を持っている事に気付いている。
それに加え、私達それぞれの分野と一般において、不正確なセオリーを払拭し、間違って伝えられた事実を明確にする教育者にならなければならない。
私達は個々の作られた虚偽に対してそれらを非難しなければならないだけでなく、専門家や社会に対して科学とは何たるか、それがどのように機能し、理論がどのように科学的事実になるかを思い出させなければならない。

この目標を遂行するために私達の多くは科学者としての原点に遡り基本を調査しなければならない。
科学的事実は通常は理論として、又は予定外の発見として始まる。
「理論」とは確かな証拠や観察に基づいた推測や仮定で、科学的証明がなされていない物と定義される。
ある理論が一般に受け入れられ確立される時、それは学説や原理となる (『トバース医学事典』より)。

それで私達の最初の目標は、基礎生物学、生理学や医学に関する所説が理論、事実又は逸話かどうかを示す事である。
私達は出版された所説が事実でないかどうかを見極めなければならない。
出版された科学論説ですらも、吟味され、疑問を持たれ、確認されるか却下されるまで同じ分野のその他の専門家による審査をされている。
ある所説が発表される時、私達はその背景、証拠や情報ソースを求め審査しなければならない。
非科学的なだけでなく、時には完全に非論理的であり、日々の観察に基づいていない所説に対して私達は疑問を呈し続けなければならない。

海洋哺乳類の飼育の分野は比較的新しく、関係した学者の人数も少なく、問題の動物 [鯨類] はメディアによって美化されるため、私達は現在の知識ベースをこれまで持ち上がった議論に照らして評価する事から始めなければならない。


鯨類の知能

最も知られながらも最も誤解された論争の領域は:それは典型的な「馬の前の馬車の原理」である。
イルカやその環境を理解していなかった初期の観察者はこの種 [鯨類] にいとも簡単に魅せられてしまった。
いかなる科学的な研究も着手される以前に、これらの種のいわゆる「知能」度が人間をも凌ぐかのように最高度であると大袈裟に宣伝された。
そもそも最も重要な事に、人間の知能を測定する事ですら困難であり意見が分れている。
過去に人間の医学においては、脳のサイズや質量のような解剖学的特徴を「知能」に関連づけようとされていた。
一部の神経解剖学者によれば、人間の分野においてこの概念はずっと以前に却下されたという。
知能に関係した脳の特性は、相対的サイズよりも微妙であり、特定の脳の部位(前頭葉は人間に対して鯨類の方が小さい)の支配、脳の異なる部位(鯨類がより少ない)のコミュニケーションを可能にする「配線」である連合神経路(白質)の総量により関係している。
要するに、それは総量の問題ではなく、何がどのように接続されているかの問題である。

全ての科学的原理と同様に、論文における「高い知能」の主張は日々の観察と立証で確証されなければならない。
このケース [鯨類の知能] に関してはそういった類いの物には見えない。
鯨類に関して私達が知っている事は、それらが高度に適応可能であり、鯨類内の幾つかの種がその他の種よりも知能が高い事である。
現在のところ、人類に匹敵するほど「非常に知能の高い」種がいるという科学的情報は存在しない。


「鯨類は意思呼吸動物」

鯨類やその他の海洋哺乳類は、一回一回の呼吸をする時に考える意思呼吸の動物だと言われている。
これは明らかに、一回一回の呼吸を考える能力を備えたという優れた知能と結び付ける試みに見える。

この推測を確認する医学的科学的根拠はない。それは昔の麻酔作用の研究とポピュラーな神話に基づいているように見える。
鎮静剤や麻酔使用の最新の臨床検査ではこれらの個体は無意思呼吸の動物である事が示されている。
この種 [鯨類] の観察ではその「意思呼吸理論」は確認出来ない。
鯨類の呼吸保持能力を理解するのは幾分難しいが、実際それは私達のものに非常に近い。
陸上生活者であっても、私達は呼吸を止めて水中を泳ぐ能力があり、即ち私達は意思で呼吸を引き延ばす事が出来る保持能力を持っている事になる。
たとえそのコントロールが存在しても、その増強された能力を持つ鯨類は呼吸サイクルを通常のコントロールを越える事も出来る。


「捕獲状態の鯨類は、熊手模様や角膜疾患などの異常病変を示す」

この主張は、その主張者がイルカにとって何が正常なのかを殆ど知らない事をその他の何よりも物語っている。
これは野生生活の現実を学んだ事のない一般大衆の多くに広まった誤解である。
それは水中野生動物写真のカメラマンとの簡潔な出会いにおいてよく描写される、楽しい事で一杯の田園詩的な暮らしや遊びの世界と考えられている。
誕生数に対する生存率の低さ、寄生生物、肺の病気、腎臓病、他の種による負傷、飢餓や座礁の真実を示す情報は殆ど示されない。
皮膚の擦り傷や角膜病変は野生動物に一般に見られる事である。
同情を誘発し、飼育環境の間違ったイメージを作り出すために、一部の個人や団体は真実を捩じ曲げる事を正当化出来ると考えているか、又は彼等は野生生物に関してお花畑なのかのどちらかである。

事実は、角膜が塩素によって焼かれておらず、熊手模様はイルカ社会で通常の事であり(全ての動物が熊手模様を持っていると限らない)、鯨類は音の反射で耳が聞こえなくはならず、また鯨類の健康管理に責任のある医療スタッフはこれらの動物の展示を正当化するために倫理を棚上げにし記録を変造したりはしないという事だ。


動物の長寿と平均寿命

捕獲された鯨類の平均寿命が4-5年という主張は、その提唱者以外の誰にも現実的に受け取られていない。
これが最も引用されている誤解の一つである事には驚くしかないが、それがどのように数字が捩じ曲げられ乱用されるかの古典的なサンプルである。

医学や動物学の視点から見れば、鯨類飼育の短い歴史において25年前と現在では動物の寿命に大きな違いがある事を私達は実感している。
人類の寿命や、動物園で飼育されている他の種と並行して、平均寿命は毎年伸び、それらの種に関する私達の知識は毎年進歩している。
現在と20年前の寿命を比較し、それらの「統計」を全てひっくるめて平均化する事は医学的に無責任である。

この事に関する膨大な正当化の問題は、限られた観察(シャチでは僅か20年でその9割が水面上)に基づいた野生の寿命を比較する傾向がある事だ。
1940年のフロリダ西海岸でのイルカの観察と調査では、歯層で判断する傾向があった。
科学的見地から、より高齢の動物において歯層老化が正確である事が示されていない事が指摘されるべきである。

余りにも早い死でなければ、ひとたび40歳以上の個体が確認されれば全ての動物がこの年齢と判断されるという事にも触れておく。
しかし人間の寿命に関しては、私達の大半がその潜在的最大寿命の50-70%にしか到達しない事も私達は理解している。
平均寿命の伸びは健康管理の改善、より良い食事、そして基礎的衛生の改善の結果である。
これらの改善なしには野生の人類の平均寿命は30-45歳だっただろう。
それにもかかわらず、一部の人間はそれを越えて健康に生き、それでも通常の平均は彼等の潜在の30-40%だった。
平均的な素人はこの事に関して殆ど把握してなく、過去を判断し、自分達の経験でもってその種 [鯨類] を判断する。

事実に基づかない主張に私達が疑問を持たない事によってのみ、これらの想像上の論争は存在し得るものだ。
私達が無数の団体との無意味な対話に時間を浪費する余裕があるという事ではないが、科学者として私達は教育を続ける事で真実を明らかにする事が出来る。
私達全てが知っているように、これは時間とコミットメントを要する事であり、私達自身が不正確な情報による炎に火を付けない事を実践する事が求められるのである。


http://www.vin.com/proceedings/Proceedings.plx?CID=WSAVA2002&Category&PID;=21272&O=Generic

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