医療問題は現在議論があまりにカオスすぎてこのままだとシシルイルイというかほんとうに崩壊してしまうのでかなりまずい。そもそも医療・介護を「成長産業」とか経済学上の文脈にあまりに安易にあてはめすぎるのが非常にまずい。

これはゲノムやIPS系新薬、医療機器開発の「万能の医療」のイメージ拡大と、医療現場と患者の深刻な現実の甚だしい乖離のなかで「TPP」→「混合診療解禁」という最悪のシナリオを自動的にまねく。
日本の国民皆保険制度を支えてきた医療従事者の原動力を「カネ」にしはじめる時点で、確実に医療の質の低下と人材不足をまねく。

医療・介護の最前線の現場は過酷であり、しかしそれでも患者やケアを必要とする人のためにと必死に働いているひとたちが「カネ」の論理で今まで動いてきたわけがない。医療者のモチベーションを「カネ」に切り替えれば、「命の重さは財布の重さ」に文字通りなってしまう。国民皆保険制度の維持と、「産業」としての技術開発は切り離さないとまずい。

混合診療解禁で現実に何が起こるかといえば、いまなんとか現場の工夫で保険診療内でカバーしている高度医療の部分が法的に保険外として固定され、「カネの切れ目が命の切れ目」に本当に法的になってしまう(まあ既になりかけているのだが)。いかなる新薬や技術が登場しようが、カネがなきゃ話になんないよ、と。

そもそも医療は「福祉(社会保障)」の一部であり、生存権の一部であり、生存の領域を揺るがすと社会に脅迫観念がひたすらひろがる。「福祉」=生存権のコンセプトを医療・患者・社会が共有しないと、脅迫の拡散はとどまることをしらない。わたしは、これはとても「非経済的」だと思っています。

医学が世界のすべてではないように、経済学だけが世界を語るすべてではない。人間の行動の「動機付け」がカネだけだったら、たいへんです。いや仮にカネだけだったとしても、絶望の生産は、きわめて非経済的です。

障害=福祉(2012年の新法)の「医学的アプローチ」から「社会的アプローチ」の転換にこだわる理由は、「福祉」がバラバラのめったぎりにされてしまっているから。めったぎりにすると医師も患者も障害も難病も介護もお互い事前に告知したパイ(予算)の奪い合いと内ゲバに勝手に終始してくれるので、いろんな省庁はばんばんざい。でもタイタニック全体が沈むので、じつはみんな地獄をみるのでこざいますが。

お医者さんの近くにいて、お医者さんがどれだけ大変かわかっていて、お世話になっていて、でもそれでもお医者さんと「医学」にダイナマイトを投げるのは、「医学」がいちばん<問題の個人化>のワナにはまりやすい職種だから。というか厚労省のワナに自らどんどんずぶずぶ突っ込んでゆかれるので。これはお医者さんが一生懸命患者のために働いているからこそ生じる問題なんですが。いやー先生、先生、ちょっとまった、そっちじゃないんだってば、みたいな。

ちょうがんばってるお医者さんに面と向かってものは正直に言いにくいしねえ。いままで誰も言ったことなかったんですよねえ。これはたいへんです。もうたいへんです。いのちがけです。でも誰かが言わないと、タイタニックが沈んじゃうからねえ。どうなんでしょうねえ。

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